2021/02/16

HM/HR だいたい何があったか(1)原始メタルとしてのハードロック

(註:この一連の投稿は、公開後に度々修正を加えています)

キャッチーなコンテンツとして結局ディスクレビューでもやろうかと思って、90年代メタルのおすすめ・お気に入りを淡々と上げていくだけのインスタアカウント @metal_of_the_90s(何となく始めてみたら海外の見知らぬメタラーからワサワサとリアクションが来る)に投稿したものからピックアップして書いていくことにした。

ただ、メタルが最も血迷っていた90年代初頭は、「何でこの人達こんなことやったの」という作品がとても多い。そうした挑戦の裏側を読み解くにあたって、それまでの王道が何で、どういう突発的な波が来ていたか、記事ごとに逐一詳しく書くことになってしまうのも効率が悪い(できれば詳しい流れを全く踏まえてないような人にも伝わるようにしたい)。
そういうことで、メタルの発生から多様化までの歴史と、危機に陥った90年代メタルシーンに起こっていた現象について、以後数回に分けてまとめておこうと思う。

  1. 原始メタルとしてのハードロック(このページ)
  2. メタル前夜から勃興初期まで
  3. 80年代前半のサブジャンル確立
  4. 80年代中盤の細分化と小規模トレンド
  5. 90年代以降の様相

1970年代

1970年頃:ハードロックがはじまった

ヘヴィメタルとハードロック何が違うのという定番の疑問はさておき、まずはハードロック。
誰が始めたのかは諸説ありすぎるというか、解釈次第でいろんな言い方ができてしまう。明確な発端があったというよりは、いくつかのバンドの革新が集まって、だんだん新しい道筋として定番化したとするのが妥当だろう。

1) イギリス

LED ZEPPELINはメタル文脈にまったく収まらない存在だが、1st(1969年)収録"Communication Breakdown"のメインリフの刻みと直線的なキック8分踏みは、ロックが一段シフトチェンジした瞬間かと思う。ほかにも"Kashimir"や"Immigrant Song"など、後世のメタルソングのテンプレとなる発明を曲単位でいくつも残していて、火起こしに関わったのは間違いない。
しかし当人たちからすると、それも色々やった試行の一部でしかなく、「ツェッペリンはメタルなの?」との問いへの答えは「否」ということでよいと思う。

旧型のブルーズロックに根差した音楽性で1968年にデビューしたDEEP PURPLEは、高音スクリームを放つイアン・ギラン(vo)を迎えた4作目「IN ROCK」(1970年)でハード方向に変貌する。アップテンポな8ビートにパワーコードの圧を効かせた"Speed King"に始まり、悲壮で大仰な曲調にハイトーンヴォーカルを乗せた長尺曲"Child In Time"もこのアルバム収録。彼ら自身は前時代のロックの発展としてこうした表現を編み出した感があるが、特に"Child In Time"のような世界観をJUDAS PRIESTあたりが継承・発展させていくうちに、根っこと切り離されてメタル独特のイディオムとなっていったように思う。
クラシカルな要素をロックのスタイルに持ち込んだ点もDEEP PURPLEの大きな特徴。プログレ畑を中心に既にやられていたことではあれど、彼らの場合は大曲主義やオーケストレーションの模倣といった大枠の部分より、クラシック風のコード展開やフレージングなど、地の部分をナチュラルにハードロックと融合させるのに長けていた。"Highway Star"や"Burn"あたりの特にインストパートは、後世のメロディックスピードメタルの出発点といえるかもしれない。
リッチー・ブラックモア(g)がバンドを脱退して新たに立ち上げたRAINBOW(1974年デビュー)ではその傾向がより顕著となる。"Kill The King"や"Gates Of Babylon"などの楽曲は、原型の域を超えて、ほぼヘヴィメタルそのものの形となっている。

哀愁メロの光るUFOや、ファンタジックなコンセプトを楽曲に盛り込んだURIAH HEEPあたりは、サイケハード風味のスタイルがだんだんソリッド化し、哀愁メロをフィーチャーするようになったという意味で、雑に大別するならDEEP PURPLEに近いといえるかもしれない。
音楽面で革新的だったか否かで見るとそこまで強烈な存在ではない気がするものの(UFOが輩出したマイケル・シェンカーのギタリストとしての影響力はさておき)、史観的には「ハードロックの進化を補強しながら時代の名曲を生み出したとして愛されるバンド」ということでよいかと思う。

「ホラー映画を音楽化する」をテーマとして、後世のヘヴィミュージックに直結する試行をいち早く実践していたBLACK SABBATH(1970年デビュー)は、メタルの父に見えるようでいて、サバスっぽいことをやるバンドはただサバスっぽいだけになるという強力な呪いも残していった。オーヴァーグラウンドでメタルが成功した華の80年代に重きを置くならば、彼らこそメタルの出発点のど真ん中とは言い難い。
ただし80年代末~90年代のいわゆる「エクストリームメタル」世代(詳しくは後述)への影響と、エクストリームメタルがのちのちモダンメタルの中心となっていく流れを考えると、存在しなければ歴史が違っていたといえるくらい重要な始祖メタルグループの一つに違いない。

QUEEN(1973年デビュー)はシアトリカル(演劇的・劇場風)な表現をロックと結び付けて、それものちにメタル界では喜ばれる要素となるが、サバス以上に「クイーン感」になってしまうクセの強さがあり、系譜なき孤高枠として捉えたい。この人達は90年代初頭のリバイバル/トリビュートブームのくだりでまたご登場願う。
アイリッシュなフレーズと独特のヴォーカリゼーションで異彩を放ったTHIN LIZZY(1971年デビュー)も、同じく単体で完結しているクセ系の極みなバンドだが、華のあるツインギター文化を根付かせた功績があるのと、人懐こいメロディ感ゆえかメタル界内外問わずやたらみんなの心の奥の方で愛されていることが多い。ドサクサに紛れてただお勧めしておきたい。

2) アメリカ

AEROSMITHは1973年デビュー。ストーンズ影響下のロックをちょいとハードにやったという塩梅で、メタリックさはないし極端な革新もしていないが、不良ウケするパーティーノリの曲調+破天荒な高音シャウトヴォーカルという図式は80年代のRATT、MOTLEY CRUEその他のヘアメタル(いわゆるLAメタル)勢が踏襲すべきひな型となる。英国発祥の叙情派ヘヴィメタルとはまた別の本線を整備した重要な役者には違いない。かつ、マイナーキーの壮大なバラード"Dream On"は叙情派界隈でも好まれたりする。

1974年デビューのKISSは、見た目こそ後世のKING DIAMONDやブラックメタル勢に受け継がれる(といっていいのか?)ものの、音楽性だけを見ればごくオーソドックスで、後世への音楽的影響範囲はAEROSMITHと似たあたりではないだろうか。
ただし徹底的にエンタテインメイントを極めたそのスタンスは、表層的な音楽性以外のところで大きなインスピレーション源となっていて、一見無関係そうな硬派なデスメタルバンドから「KISSに衝撃を受けて...」みたいな話がよく出てくる気がする。
同じツインギターバンドである先述のTHIN LIZZYとはレーベルメイトとしてよく一緒にツアーにも出ていたため、相互に影響があり、似た曲が多数存在するというのはちょっといい話(情報源はDISK HEAVENのチラシ)。

50年以上にわたって活動を続けているBLUE OYSTER CULTは個人的に、その後とつながる系譜を軸として見ると、イギリスでいうところのURIAH HEEP的な存在として捉えている。ハードサイケな作風で1972年にデビューし、徐々にキャッチーに洗練されて"Don't Fear The Reaper""Godzilla"のような有名曲を残し、80年代には80年代なりのポップメタル風味を身にまとう。
特定のテーマやストーリーに基づいた歌詞で統一された、いわゆるコンセプトアルバムをたびたび制作しており、社会的な題材を扱った部分も含め、のちのQUEENSRYCHEなどは彼らからの影響を公言している。

一見メタルとは関係ないながら、70年代でマークしておかないといけないのはMONTROSE(1973年デビュー)。ハードで豪快かつノリの軽さがあって、デビュー当時のVAN HALENのお手本そのもの。WARNERリリースでテッド・テンプルマンがプロデュースという点も同じ。VAN HALENの巨大な歴史的意義からすると、その前にMONTROSEの存在があったことはやはり踏まえておきたい。
バンドのシンガーであったサミー・ヘイガーはまさに後年VAN HALENに加入することになるわけだけど、若い頃は例の高音シャウトを全くやらず、むしろ派手で尖った感じが少しデイヴ・リー・ロスぽい。


パンク~NWOBHMあたりまで1記事でいくつもりだったのに、別に触れそうにないようなところまでこまごま書いてしまった。SIR LORD BALTIMOREがないぞとかそういうのは勘弁してください。まずはここでひと区切り。
続きは(2)で。