2021/02/17

HM/HR だいたい何があったか(2)メタル前夜から勃興初期まで

(1)からの続き。

1970年代中頃まで:プログレと並走しつつ、実験と洗練が漸進する

70年前後の爆発的な多様化はいったんおさまり、しばしの定着期に入る。この頃は皆リリースサイクルが早くて、アルバムが年2枚出ることもザラにある。現代のように素材もセオリーも色々出揃っていないから、佳曲も凡曲もとにかく作っては出して次を探り、とにかくツアーして稼ぐという感じで、各々ほぼ同傾向の作品を増やしながら成熟していったという印象。
ペンタトニックの響きが優勢なブルーズロック由来のマナーが、多くのバンドでまだ作曲のベースとなっている。

同時期にブームとなっていたプログレッシヴロックは、その複雑・技巧的な要素がのちの世でメタルと抜群の親和性を発揮し、プログレメタルとして合流し大きな脈をなすこととなるが、この頃はまだ両フィールドを行き来するようなバンドが大物化することはあまりなかったように思う(B級層にはけっこういるが、どっちつかずと紙一重な感も)。
プログレとハードロックが交わった成功例といえばカナダのRUSH。デビュー当初はローカルツェッペリンという趣だったのが、作品を重ねるごとにみるみる大作・テクニカル指向に突き進んだ。ちなみに80年代になるとポップ化がうまくいって上々なセールスを収めるという、三つの海を股にかけるような活躍をしてしまい、その結果未だにハードロックと言われたりプログレと言われたり、あいつらはプログレじゃないと言われたりしている。カナダでは国民的ヒーロー。

「SABBATH BLODDY SABBATH」~「SABOTAGE」でよりアート然とした実験的作風に取り組んだBLACK SABBATHや、オルタナティヴロックばりにごった煮が極まる「PHYSICAL GRAFFITI」を作り上げたLED ZEPPELINなどは、プログレへの目くばせがあったのかもしれないが、そこで取り入れられているのはRUSHが目をつけたような技巧性よりも、躁鬱/動静の揺さぶりで意識を飛ばすある種のトリップ感が目立ち、PINK FLOYDが強かったんだなあという当時の空気が窺い知れる。

1975~78年頃:パンクムーヴメントで一時霧散

完全なる門外漢なのでさわり程度に。
不況その他による生活悪化が進むイギリスで、ニューヨーク勢に少し遅れてパンクブームが爆発。ファッション面での戦略もあって、パンクは社会不満をため込んだ若者の熱狂的支持を得、それまでアリだった重厚長大・難解・大仰は突然ナシとなり、ハードロックバンドはレコード会社から「契約したければ髪を切れ」と迫られたとか迫られないとか...という話をBURRN!誌でよく目にしました。
オイルショックのあおりで、売れなかった誰々のレコードの在庫が溶かされてほかの誰々の何々というアルバムの材料にされたとかいう悲しい噂話もたまに目にする。

メタラーにとって「我々を瀕死寸前に追い込んだ悪夢の時期」みたいな扱いになっていることが多いパンクムーヴメントだが、音楽的にはその後のメタルの進化と無縁ではなかった。詳しくは後述。

1980年前後

1979~82年頃:「NWOBHM」でヘヴィメタルに切り替わる

詳しい史実はWikiほか多くの個人ブログでも知ることができるので、これも概要のみ棒読みで。
一度は隅に追いやられたハードロック的なものが、パンクのエネルギーやバイカー文化をも取り込んで、新しい動きとして復権。IRON MAIDENSAXONといった旗手が躍進を遂げたのに続き、イギリス全土で若いバンドが蜂起しては自主製作または新興マイナーレーベル経由で音源を続々リリースして急速に盛り上がる。
これら新世代による動きを、イギリスのSOUNDS誌のジェフ・バートンがNWOBHMNew Wave Of British Heavy Metalと呼び、ジャンル名としての「ヘヴィメタル」もこれが直接の由来となった。古臭いイメージがついてしまっていた「ハードロック」に代わる新しい名前を得て、沈みかけていた旧ハードロック勢も便乗して大いに盛り上がるも、やがて成功者はひととおりメジャーレーベルに回収され、大多数を占めたマイナーバンド群は消え、その後のサブジャンルの種を生み出して正味3年程度でブームは終息を迎える。
ドラマですね。

このときロンドンに滞在していたメタル評論家・伊藤政則氏によると、IRON MAIDENがEMIと契約を決めるか決めないかの頃は、噂が噂を呼んで週単位でシーンが動くような熱気だったとのこと。
そしてメタルと敵対していると思われがちなパンクについて、当のポール・ディアノ(vo. / ex.IRON MAIDEN)は、「地元で起こったあの頃の激動」の一部として至ってポジティヴに捉えているらしいことを語っていた。3分勝負でババーッとひっぱたくパンク通過型のコンパクトさ・ストレートさあってのNWOBHMでもある。
代表的なバンドといえばDIAMOND HEADANGEL WITCHRAVENPRAYING MANTISなどなど。

周辺事情

この頃を境に、ブルーズロックベースのスタイルに縛られない楽曲が増えはじめ、より垢抜けたポップさや純度の高いメロディが作られるようになったのは、メタルに限らず大衆音楽界全体で見られた現象。「泣き」が重要なメタルにとっては完全に追い風といえる。
これがハードロックとヘヴィメタルを隔てる大きな要素のひとつである気がしている。

ついでに世間で起きていたことといえば、AOR/フュージョンブーム、ディスコブーム、ニューウェイブ/シンセポップの台頭、MTVなどなど。
メタルはメタルでこの頃は上り調子の新ジャンルであったため、のちのグランジブームの時ほど、ほかの流行りものと無謀な融合を試みた例はあまり見かけない。
ドイツのSCORPIONSがレゲエを取り入れてみるものの特にウケず黒歴史化するなどの珍現象はあった。

余談で、お隣のプログレ界ではYESやGENESISの大転身からの商業的成功を受けて、皆こぞって短くポップで軽い楽曲づくりに取り組むようになる。それまでのカラーをどこまで残すか血迷っていたり、ニューウェイブの気風が案外もともとの体質にマッチして上手く波に乗ってしまったりと、人間模様のにじみ出る作品がたくさん作られて、個人的には超豊作期。

1978年~1983年:メタル時代の大型ギターヒーロー

80年代は速弾きギターの時代。
1978年にはVAN HALENエドワード・ヴァン・ヘイレンが、1983年にはアメリカのバンドSTEELERの一員としてスウェーデン人のイングヴェイ・マルムスティーンがデビューする。同時期に名を上げたギターヒーローは他にもいるが、ことさらこの二人の存在は、後続バンドの創作性にまで強い影響を与えた。

エディことエドワード・ヴァン・ヘイレンは、タッピングその他の特殊奏法を駆使した派手なソロと、同じくらいカラフルで奔放なバッキングで、世界中のギターキッズの度肝を抜く。型破りな機材の使い方も含めて、独創性の高さはメタル史上最も突出しているといっていい。(決して「ライトハンド奏法の人」ではない)
VAN HALEN自身の音楽性はかなり雑多な要素が混在しているうえ(アメリカのルーツミュージックに詳しい人にはかなり興味深いはず)、メンバーのキャラがそのままバンドの個性に大きく反映されていたため、正統派フォロワーはいそうで案外いない。

ちなみに、それまでのギターヒーローはいかにもカッコよく陶酔するカリスマタイプが多かったのに対し、エディは「笑うギタリスト」として親しまれた点でも、時代を象徴する存在であった。これに類する称号はクリス・コーネル(vo / SOUNDGARDEN)の「笑わないフロントマン」くらいか。

イングヴェイは人間離れした正確で速いリードギターと、クラシックのスケールやフレーズをそのままヘヴィメタルに持ち込んで強烈な叙情性を発する楽曲スタイルによって、80年代以降のメタルの新常識を築き上げる。
同じくクラシックからの影響が色濃いリッチー・ブラックモア(DEEP PURPLE, RAINBOW)~ウリ・ロート(SCORPIONS)~ランディ・ローズ(OZZY OSBOURNE)の系譜から予見されうる存在ではあった(と筋肉少女帯の橘高文彦氏が語っていた)が、アル・ディメオラやアラン・ホールズワースなどハードロック外のギタリストからの影響も消化し、さらにエドワード・ヴァン・ヘイレンによるギアチェンジを受けて、シーンに躍り出たときは既に同世代のプレイヤーの遥か先をいくテクニックを身につけた状態であった。
ALCATRAZZを経てソロ名義となり、アメリカ進出も果たして名を上げるものの、「メカニカルすぎてフィーリングがない」といった批判も受ける。後続の本当にシュレッドマシンな手合いと比べるまでもなく、全然そんなことはないと思うが。
ハーモニックマイナーをガシガシ効かせるソングライティングや、ベースとの高速ユニゾン、キーボードとの弾き倒しバトルなど、彼が推し進めた表現手法はその後広く流用され「様式美メタル」「ネオクラシカル」の元祖となる。彼を発掘したマイク・ヴァーニーが運営するSHRAPNELレーベルには、インギーに続けと大勢の速弾きギタリストが集まり、テクニックの研鑽と披露に重きを置くギターインストシーンがそれなりに盛り上がりを見せた。


いったんここで区切ります。(3)へつづく。