2021/03/01

アナログプレイヤーを導入した・その後(2)

【後日註:この記事は盤面のクリーニングが充分でないアナログディスクについての感想を含みます】

もう何のまとめでもなくただの日記です。

相変わらずちょいちょいLPや7インチを購入している。ピーター・ゲイブリエルの大名盤「SO」(1986年)を見かけ、これはハイファイ録音のアナログ音質を確かめるのに最高と思ってもちろん購入。
パッと聴いた感じでは、CDで聴きなじみがあるのとほぼ同傾向の音。滑らかなところは品良く滑らかで尖らせるところはシャキッと鋭角な、当時としてのかなりモダンな音作りだと思う。
聴いていると途中何度か、ヴォーカルの歯擦音のところでザスザスと歪む。
特に盤の中心に近い再生位置でもないので、あれーと思って調べて見ると、アナログプレイヤーのアーム等々の調整や傷み具合によってもこうした症状は起こるらしい。キズもホコリもひどいバーゲン品をそのまま再生したときにピックアップが傷んだのだろうか。本体から生えているRCAケーブルを付け替えようとして筐体を裏返してゴチャゴチャやったときにどうにかなったのだろうか。

高音を攻めていない場面では問題なく聴ける。ここでなるほど~とひとつ疑問が解けました。
以前の記事の最後の方でMR. BIGのシングルについて書いた、CDリリースありきの時代に作られたアナログマスターがCDとちょっと違う音作りだったりする件。
CDでは好きなようにクリップぎりぎりの音量で遠慮なくトレブルも効かせて、エンジニア的にはおそらくそれが本来の意図通りの音。アナログではピックアップ機構の良し悪しが再生音に影響するから、環境によっては発生するかもしれない不快な歪みを避けるため、「おおかたの再生環境でこのくらいなら大丈夫だろう」というところまで高音を丸めて余裕をもたせていた、というのはかなりあり得る話に思える。
情緒的な表現というよりは単に安全装置な対応だとするとロマン度は大幅に下がるが、原因は何であれこの差によって耳の行きどころが微妙に変わってくるというのは、おもしろい副次的効果でもある。

ハイエンドオーディオの人達(自分はまったくそうではない)がしばしば、音源を再生することを「演奏する」と能動的に表現する口ぶりを目にする。いやいや...と思っていたのだが、収録された情報をきれいに引き出すも損なうも再生装置のコンディションに委ねられるところが大きいとなると、確かに納得できる部分もあるのかもしれない。

その点CDは、よほどD/A変換が貧弱であったり、機械として壊れているレベルで再生に難があるような装置を使わない限り、状態がまともなアナログ盤の95%くらいのクオリティの音を誰でも確実に楽しめるメディアだ。偉大じゃないか。
ということでここのところ、CDのよさをちょっと見直している。こんなキワキワな音でもクリーンに聴けてCDさんありがとう、という気持ちが存在するとは想像もしていなかった。先々週くらいまではアナログ+データ配信で世の中充分じゃんと思いかけていたが、カッティングの甘いショボマスターかどうかビクビクしないで済むCDの安心と、アナログにしかない最後の5%とはトレードオフ関係で、実際その5%が認識可能かどうかは盤次第の賭け。
というかアナログでもデジタルでも何でも、日本臓器製薬のCMはあのアングロサクソンのおじさんの存在感がいっつも気になるよな~あれ誰だ、くらいの主体性をもって内容と向き合えば、勝手におもしろみを深めることができる。
ということをアナログプレイヤー導入以降の数週間で見出した次第。総じておもしろいのでよし。