2021/02/05

アナログプレイヤーを導入した(2/2)

【後日註:この記事は盤面のクリーニングが充分でないアナログディスクについての感想を含みます】

(1/2)からの続き。

週末、近所でアナログ盤が買えそうな店に繰り出してみる。今まで見向きもしなかったものが突然そそる存在になって、ちょっと世界が変わった。
LP市場はありがちな品物の顔ぶれがCDと異なるのもまた面白い。KANSASはちょくちょくある。あとオリビア・ニュートン・ジョンはどこに行ってもだいたい会えるらしい。

初ディグにして運良くJOURNEYの「ESCAPE」を引き当てることができた。未リマスターとリマスター両方のCDを持っているから、帰って三者比較。
アナログを細部まで確かめるつもりで聴いた音量のまま96年版リマスターCDに切り替えると、台無しな変造とは言わないまでも、全部の音がワーワー叫んでいるようで若干うるさく感じる。
それだけに、抑え目の音量で聴けば実際以上の迫力「感」を味わえて、隣人を怒らせることもない。収納場所も取らないし。
時代の移り変わりとともに「元の姿に忠実かどうか」以外の価値観が幅を利かせるようになって、使い手が望むように変化しただけの事だなといろいろ合点がいく。きょうびの17歳が悟るようなことばかり書いてお恥ずかしい。

未リマスターCDとLPは基本的に酷似しているものの、微妙な差で、やっぱりアタックの角度がLPだとよりビシッと立っている気がする。ひとまず自分の環境で聴く限りは。
これは以前、使用中のオーディオセットのアンプ部分だけを普段のもの(立派な元値の中古購入プリメインアンプ)から5W+5Wの極小デジタルアンプに置き換えてみたとき、バランスは大きく変わらないが衝撃的に立体感が失せてペラペラになったことがあり、それと逆の変化として感じられたことなので、それなりにオカルトではない発言として受け取ってもらえればと思う。
量感にかかわる超低域の有無だろうか。できるだけ事実ベースで表現したいところだが認識力が足りない。これを「スピード感」などと評してしまうところからオーディオの祟りが始まる気がする。沼とは感情語で混濁した己の認識そのもの。


別の日、今度はFOREIGNERの「DOUBLE VISION」を入手した。どこかのんびりしたクラシックロック風味をまだ残したまま、派手な80年代流儀に片足を乗せかけた途中のポーズを捉えた2nd。
店頭に複数の在庫があり、ジャケの写真は同じでもプリント色やアルバムタイトルの位置が全然違う。さっそくDiscogs先生を頼ると、このアルバムは同一のマスターらしきイシューでも、プレスの世代によってこまかくジャケ色が変わっているらしい。こんなに違うとどれをオリジナルとすべきか分からないというくらいのバリエーションがある。結局、リマスターCDで採用されたのと近いカラーのものを購入。

帰って手持ちの未リマスターCDを確認すると、そっちは違うカラーが採用されている!

今まで気にしたことがなかったが、よく見ればバックの2人の写真と手前の6人の写真は同一の素材。そもそもあんまりこだわりのないジャケなのかもしれない。

恒例の聴き比べをすると、これが全然違いに気づけない。
むしろ、音量を上げて聴くCDは、プチプチノイズの乗らない優秀なLP代わりの如し。
CDマスターがやたら優れているのか、オリジナルの録音自体が実はそんなに良くないのか、自分の耳がアホすぎるのか?(十中八九それだと思う)
こういうケースもあるとなると、良質な未リマスターCDすなわち「傷みがちな実物より外れリスクの少ない安定した標本」の頂点を探し求めるM田君の掘り下げ方は、とても合理的に思える。

アナログの音の良さは媒体のもつポテンシャルがもたらしているんじゃないのか。LPからCDへの世代交代と同時に「高音質」の通念が変化しただけの事を媒体のせいにしているのか。すっかり分からない。


また別の機会に、MR.BIGの大ヒットバラード"To Be With You"の7インチシングルに出くわした。

アルバムと同じジャケで、LPよりちょっと小さい7インチというのが小憎い。
91年ともなると、制作環境にデジタル機器が入っていることもあろう。「オールアナログ制作こそアナログ盤所持の醍醐味」というポリシーからは外れるものの、MR.BIGは青春なので特例扱い。

アナログのCD化じゃないから音は変わらないだろうけど念のため...と、手持ちのCD(アルバム)と聴き比べたところ、これは先のFOREIGNERとは違って明らかに聴こえが異なる。
メディアの違いのせいというより、マスターそのもののEQ等々が違うことによる差異っぽい。
CDはアコギのストロークのチャリチャリしたピック音付近が立っており、アナログはもう少し耳当たりが穏やかで部屋感重視。コーラスが左右遠くまで広がるような感覚がある。イントロのカウント前にちらっと入っている音出しと会話も心なしか生々しく感じて、それが一番うれしかった。

記録メディアにあわせてマスタリングの内容が違うという話自体は普通によく耳にするが、それならCDは無味乾燥感を補う方向で、アナログは目鼻立ちの明瞭さをプラスする方向で、結果が近くなるようにととのえるかと思えば、そうとも限らないらしい。
質の平均化を目指すよりも、アナログを選ぶ人にはアナログっぽい、CDではCD然とした音をお届けしてくれるとは、一方向的な「品質改善」思想に基づかない何とも人間的・情緒的な計らいじゃないか。エンジニアによってもやりようは様々であろうし、全部沼から見た妄想かもしれないが。
アナログの流儀で仕事をしてきてCD時代に適応する経験をした著名エンジニアの自伝の和訳本でもあれば読んでみたい。


ここまでのところ、ひとまず「こういう部類だけ買っていれば最も意義深い」と一概に線を引けないもののようであることはよく分かった。さっそく当初の決意を超えるペースで増えてしまいそうで、あぶない。