2023/02/24

METALLICA「MASTER OF PUPPETS」UKオリジナル(MFN60)所感

思い入れといえば「ブラックアルバム」の方があるけれど、メタルの進化の歴史におけるモニュメンタルな一枚として常々その重要性を認識しているし普通に好きなアルバムであるMETALLICAの「MASTER OF PUPPETS」(1986年)。誰とも競らずにまずまず妥当な値段で、UKオリジナルLPの中でも初期プレスと思われるバーコード無し裏白文字・マトリックスA3/B3をこのほど落札できた。
アナログを入手して音質に感銘を受けた作品なら他にもたくさんある中、このアルバムには思う所がいろいろあったので書いておきたい。

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まず世間の評判をリサーチすると、このイシューに対する評判は非常に微妙だった。
ひとつはDiscogsについているレビュー。
「86年からこれしか持ってないけど、音は小さいし平坦だし、各面の最後の曲は歪みで濁ってくるし、ヒドイといわざるを得ない。これで育ったからそんなヒドさも愛してしまっているが、オリジナルを求めてこれを買う価値はほんとに全くない」
うーむ。

もう一つは、所有する16枚の「MASTER OF PUPPETS」のLP(!)の音質ランキングをレビューつきで発表しているこの記事
こちらの言われようもなかなかにシビア。曰く、「『辛うじてスピーカーからこぼれてきてる』というくらい音が小さく、グズッとしてて高音域の爆発感もない。CDのほうがまだパワーがある」。ランクは全16枚中11位とされている。

買って早々ながら、自分の実感もこの2件とおおむね同感で(というかそう思ったから調べた)、「マスタリング用にコンプやEQの掛けしろを残してきたつもりかもしれないが、ミックスダウンに色付けするようなことはしてないし、内周で元気ないのは収録時間が長いせい」と言っているようなマスターだなと思えてきた。
16枚ランキングの人のはマトリックスにRR-の番号が入っているから、手持ちの盤とはちょっと違うけど、同じくMUSIC FOR NATIONSの仏オリジナルも似たようなもの(12位)とのことだから、MFNからの初期盤は総じてこの感じなのだろう。
アナログは、こういうブレっぷりにヒトの介在を思わせるのが、筆者のようなジジイのロマン追求にはちょうどおもしろい。

で今回は何も、チラシの裏の話ついでの注意喚起だけしたかったのではなくて、マイナス面をさておいても「CDと音が違い過ぎてびっくりした」の度合いが凄かった点について触れておきたい。

攻撃性が高まる方向での進化とともに荒々しさも増していた往時(NWOBHM時代)のヘヴィメタルの最先端を、制御されたクリーンなスピードメタルで大きく刷新したMETALLICAが、起伏に富んだ曲展開や内省的な詩世界を導入して、メタルを芸術としてひとつ上の高みに移行させる試みをやりきったのがこの「MASTER OF PUPPETS」(というようなことが当時のBURRN!増刊「METALLION Vol.3」に書いてありました)。
作風もさることながら、中音域を大きく削ってヘヴィネスを強調し、リヴァーブを抑えて巨壁の如くそびえ立たせたバッキングギターの音作りが、怪物的でいながらクールさもある本作の表情を印象づける大きな要因になっていると思う。

80年代中頃までのスラッシュメタル作品は、リマスターを謳っていないCD化の時点でかなり音が変わっている場合があることは、S.O.D.や初期ANTHRAXのLPでも把握済みだった。しかし他でもない「MASTER OF PUPPETS」でこれが起こっているとなると、歴史的意義の点でいろいろと話が違ってくるレベルである。
先述の「METALLION Vol.3」で、ヤングギター誌などで執筆していて御本人もAIR PAVILIONなるグループ(ケリー・ハンセンが全面参加しているアルバムをいつか入手しようと思っている)を率いていた米持孝秋氏がこのように書いていた。

"エッジ"だとか"ハイ・エンド"にポイントをおいたサウンドが今日の流行であるとすれば、METALLICAのそれはまるで逆である。限りなくベースの音域に近い所に、そのポイントをおいていてイコライジングされている。ジェイク・E・リーはディストーション・ボックスをマーシャル・アンプから出る余分な低音をカットするために使っていたが、カーク・ハメットは逆に「マーシャルはやはり低音が不足気味なんでディストーション・ボックスを使ってベース・ブーストしながらやっているよ」と語っていた。

この頃のスタジオ録音ではソロしか弾いてないとか、ライブでは長らくバッキングギターはジェイムズの音しか出ていなかったとか言われているカーク談なのはさておき、「鋭くてヘヴィ感はあるけどそんなにボーボーと低音出てるかな?」と、今まではこの発言にいまひとつシックリ来ていなかった。

しかしLPで聴けるこのアルバムのリズムギターは、まさに「中音域をバッサリいって低音を上げ目にしたマーシャルの音」らしさがあり、さっきの引用の内容にも納得がいく。ミックス全体でも、混雑気味な低域に対して歌のうしろあたりは広々と空いている感じ。
ギターのよく歪んだバンドをやったことのある人なら分かると思うけど、こういういわゆるミッドスクープなハイゲインは、バンド全体のバランスの中で注意深くやらないと、生アンサンブルの一部になったときに音程感が希薄でゲショゲショ感ばかりが耳につき、音として認識できなくても確実に存在する超低音成分がベースもキックも抜けの悪いものにし、本当に扱いづらい。

ここでCD(未リマスターの古いELEKTRA盤)に立ち返ると、マスタリングでスネアやヴォーカルが映えるあたりからギターのエッジ成分にかけての中高域が広めにコンモリ盛られていて、LPでダブついていた低音はスッパリ落としたかのように失せている。
これはこれでベースもキックも巻き込んで軽くなってしまっているのだけど、ギターに関しては「ミッドスクープのトーンを保ったままメリメリと眼前に迫るようなハイミッドもある」という、ひとひねりが加わったマジカルな結果に至っている。

90年代以降のメタラー達を「どうやったらこんな音出るんだ」と奔走させてきたのはたぶん専らCDの方だろう。そりゃ、そう簡単にこの音をペダルとアンプで真似できないわけである(長年メタラーをやっているけどモロじゃんと思った経験はあんまりない)。一度キャビネットから出た音をさらにいじった結果なのだから。
生機材でなんとかCDの'86メタリカサウンドに近づくには、まず手の届きやすいLPの音を目指したあと、LPとCDの差分を突き詰めればればよいということでもある。当時の機材を追っかけて謎に迫ろうとしている人は、是非ここに着目してやってみてください。

しかしマスターテープ制作の後工程で関わる、どこにも名前がクレジットされることのないエンジニアがここまでの改変をかましてしまえる(そして誰もその人のお陰でこうなっているとは考えていない)とは、なかなかえらいことだと思った。もしかして初期CDも時期とリリース国で全然音が違ったりするのだろうか。危ない〜。

ほぼほぼギターサウンドだけにフォーカスして書いてしまったけど、CDでは持ち上げた帯域とのバランス取りで適当に遠ざけられている超高域(シンバルや皮のアタック感あたり)がMFN盤だとやたら近くて生々しい感じがして、キックもバターン!と打撃感がある(スマートな打撃とはいえないながらも)。あとマスタリング関係なくやっぱりジェイムズの歌はアナログでもバツグンに映える。改めてフェイスハガーの如き声と歌唱。
よっぽどキレキレらしいUSオリジナルColumbia盤も聴いてみたいところだけど、音が小さいと酷評気味な手元のMFN盤でも、ギュギュッと迫力を加えられていないぶん、大きめに鳴らすと生バンドの像が浮かび上がるようなところがあって、アナログ初期盤の醍醐味はちゃんと感じられる。内周が弱い点を除けば、今のところヤメときゃ良かったとは思っていない。