2025/03/21

KARATE 2025年ジャパンツアー名古屋公演リポート

21年ぶりに名古屋でKARATEを観た。
この一文が本当に起こった事実だということにまだちょっとびっくりする。

KARATEは90~00年代アメリカのインディロックシーンで活動したトリオバンド。CODEINEをさらにカリカリに枯れさせたようなスローコア調の演奏にスポークン感強めの渋い歌が乗るスタイルに始まり、作品を重ねるごとにどんどんブルーズ風/ジャズ風の色合いを強めて唯一無二のニュー・オールドを開発していった、当時の界隈でもかなり異色のグループだった。潔いほどスカスカな音数が衝撃的だったし、あの枯れっぷり、二日目の鍋汁に切ったイモを入れただけみたいなシンプルさとその向こうの複雑な味わいは、誰の追随も許すことなく、解散後までずっと孤高であり続けたと思う。

2004年の初来日は、まだ防音構造皆無で出入口が二つあった頃の鶴舞KDハポンに観に行った。それからブランクを経て21年後の今、彼らがまた活動状態にあり、企画者の方の体当たりなご尽力(現地でのライブを観に渡米して直接会ってきたとのこと)のおかげで、地の果ての極東日本まで飛んできて東名阪を廻ってくれて、幸運にも家から自転車で会いにいくことができた。


今回の会場は、現在の名古屋に残る貴重な「地下の真っ黒いライブハウス」である今池ハックフィン。こちらにお邪魔するのも相当久しぶり。
すし詰めとはいかないまでも、問題なくオンタイムで始められるだけの人の入り。40前後で数年会ってない人に会うと、自分もそうだけど、パーッと白髪化していたり横にでかくなってたりすることがままあり、間違えて知らない人にお久しぶりです...と行きかけたりしてしまうなどした。

オープニングアクトには2004年と同じTHE ACT WE ACTが登場。秒単位で噴射先が変わる文字通りのケイオティック・ハードコアだった往時を改めて思い出すと、現在はそこからずいぶんと基礎の骨組みが変化している。ツインドラム編成を活かして「ハードコア同然のエネルギーをたたえたフリージャズ」にハードコア側から実際に接続し、生地をこねるようなじっくり長い反復タイムと、出来たピザをぶん投げるハーコーパートとの両端を長周期で行き来するダイナミズムで聴かせる。爆発力を客席方向に転換するボーカルの存在が昔も今もキャッチーさの源泉になっているなとつくづく思う。「~する」で終わる語尾がよく耳に残るが、煽ったり問いかけたりせずただ示すスタンスが心地よい。

もう一組、フランス帰りのKazuki Hashimotoはex.dOPPOの人。引き続きTHE ACT WE ACTのケイゴ氏がドラムを兼任し、シンセの入った4人編成で演奏される歌もの曲は、バンド時代と変わらない素朴さ...と思ったが、終盤に演奏されたdOPPOの曲はやっぱり当時の若さゆえ(なのかは分からないが)の斬り込んでいく気迫を多めに感じた。序盤のMCが完全にフランス語で面食らうも、フロア後方に外国の方がいてちゃんと反応しているようだった。2曲演奏したあたりでやっぱり日本語に切り替わり、「誰かには分かり、誰かには分からない、誰に合わせるか?」ということについて、個人的に心当たりのある問題でもあるだけにやや考える。


そしてKARATE登場。本国でのライブ動画などで事前に見ていたとおり、メンバー三人とも21年の時間が経過したなりの風貌。だらしない老け方では全くない。
「今回はこの奇跡のような機会を持てたことを本当に素晴らしく思う。あの時見てくれた人は今日も来てるかい?」etc. みたいなエモいMCは一切なし。早口で簡単な挨拶だけバーッとして、とにかく曲。潔い。

ギター・ベース・ドラムはロックの一般通念上の最小単位であるうえに、彼らは武装も極端に少ない。他公演で撮影された写真で見る限り、ギター/ヴォーカルのジェフ(・ファリナ)の足元はチューナーと歪みペダル1台のみで、若干高音を丸め気味のごくごくシンプルなクランチトーンに歪みが少し増すか減るかだけ。あとは生身の声と、何の変哲もない4弦ベース、純アコースティックなドラム。
トリオバンドなら世界中に山ほどいるわけだけど、KARATEが演奏を始めると、この編成から自ずと導かれる定理のような美しさが見える。同時に、シンプルとシンプルをちょっとつなげ替えただけでこんなスリルが発生するのか?という驚きにも満ちている。いたずらに空間を埋めず、スカスカなままでタッチの妙や余韻をすべて音楽にしてしまう。「海外バンド、ドラムの音でけ~」だけで感服していた頃から20年余、年齢を積んだ三人が大きな塊として動くときの重たい一打一打は、極端さで驚かせることはせずとも、同じく歳食った今の自分の耳にはことさら響く。
「グループで音楽表現をする」と「昔ながらの楽器を手に取ってバンドをやる」がとっくにイコールではない昨今、絶対に生身の三人である必要があって、古典の様式美の外でそのエッジーな部分だけを取り込み血肉化しているKARATEは、現行型の音楽としての強度も相当高い気がする。当人たちは昔と概ね変わらぬスタンスのまま、時代が流れて勝手にそうなっているのが面白い。

こんだけ書いといて実は、初期からのレパートリーを全部言い当てられるほど曲単位で記憶していなくて確証不足ながら、この日はおそらく全時期をそれなりにまんべんなく押さえたセットリストだった気がする。リリースを重ねるにつれて個性を明確にしていったようなバンドの再結成ライブでは、選曲も転換期以降が中心になりがちだけど、今回は1st・2ndあたりのポストコア然としたグツグツ感こそ好きというファンもしっかり満足できたのでは。
個人的にはインチキカンフー映画みたいなわかりやすいギターフレーズの入った中期~後期の曲がベタに好きで、"Diazapam" "Sever" "First Release"などが聴けて良かった。"Diazapam"はイントロのメインフレーズを、隣接弦のサスティンを残したトリッキーなバージョンに進化させていて、痺れた。

今回のライブ前に"Sever"の最近のライブ動画をYoutubeで見たところ、キーを下げているし歌声は往時よりやや重たくなっている気がするし、今回のライブでは特にボーカルの面で、抗えない年波を感じることになるのかな...という心配を少ししていたが杞憂だった。その他の曲は音源と同じキーだったし、カドがなくセミハードな芯をもつダンディな発声は全然健在で、先述の"Diazapam"でも元気よくA4で叫んでいた。
00年代前半頃を思い返すと、しっかり音程をとって歌うよりも、荒っぽく投げる感じのボーカルスタイルがエモ/ポストコア/インディロック界隈では歓迎されていて、まっとうに上手い歌が逆に敬遠される感すらあった(KARATEがそうだった気はしないが)。そこから20数年経った今、実体験していない世代からもKARATEの音楽が求められ(企画者いまきんさんによるインタビュー参照)、ソウル/ファンクやフォーク/アメリカーナどころを中心にオブスキュアな音源を再発するNUMEROとの縁に至ったのも、歌の良さの力が一つの大きな要因なのではと思う。

たっぷり1時間くらいのセットのあいだ、実直な感謝の言葉は度々言ってくれるも、しっとりしたMCは相変わらずほぼ無い。何か話したといえば「名古屋の味噌を食べて、うまかったよ」くらいじゃなかろうか。あとは曲間の無音をほぼ作らず、太い一文字まゆげで斜め上をじっと見ながら歌い、演奏するのみ。歌詞について改めて調べたことがないけど、おそらく「明日こそ俺たち元気にやろうぜ」的なタイプではなさそうなことは想像できる。
ごく個人的な性癖として、音楽はコミュニケーションの媒介として想定顧客に向けられたものじゃなく、作品としてただそびえ立っているやつが好きで(主義主張・問題提起・願いが込められているかどうかはあくまで別問題というか両立可能、このことで絶対的価値がどうという考えでもなく、本当に個人的な性癖)、その点KARATEはとにかく綿々とおのれの創作を見せ続けてくれて、こちらはじっくり自由にそれを楽しむことができた。それが本当に良かった。


物販は開演前に買い、終わった後はかなり久しぶりに集まった大学時代のバンドサークルの人々と約1時間の短期集中で飲み屋に入り、帰って即日これを書いてアップしようと思って手を付けたものの挫折し、2日後の今日になってしまった。
前回の来日のTシャツのデザインは「アナログの権化のようなKARATEに何でマウスの絵?」と不思議に思ったものだが、今回はかっちょいいのが5種類もあって困った(嬉)。
再発LPは、ジャケが気になって試聴して初めてKARATEを知るきっかけになった「THE BED IS IN THE OCEAN」('98)と迷ったのち、リリースをリアルタイムで経験して大いに沸いた「SOME BOOTS」('02)を選択。ジャケを踏まえたグレーと水色のカラー盤仕様で、左右広めに出ていたアンビエンスをセンターに集め、ハイファイ感とは違うボツッとした鈍い重みを立たせた、ビンテージ風の太さを演出するマスタリング。これはこれでオリジナル(CDで所有)とは違った味わいしろがあってよい。

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本編ラストだったかアンコール後の去り際だったか、ジェフは「また25年後に」と言ってハケていった。望むところである。